ヒノのブログ 〜道すがら〜

Twitterでは書き切れないことを書いていきます。

バンド結成まで、

お久しぶりです。

最近ほんとうに暑くなってきて、
エアコンの除湿が欠かせません。

ヒノです。

近況を語るのもなんだか気まぐれに近いほどブログを全然更新出来ていないのですが、少しだけ書き留めて置きます。

僕が、今は懐かしきLeicaというバンドで活動していた頃。
メンバーの就活や、作曲家としての前進など、個は進むべき道を見出して行きました。
そんな中、僕ももう、次期に独りに成るんだなぁと他人事のように感じては居たのですが、
「独りになったらどうやって活動していこうか」
と、そんなこと許り考えていました。

そしてLeicaは解散し、いざ独りに成ってみると、バンドのいざこざからひょっこり抜け出したように呆気なくて、
すぐに解放感を得ました。
僕はキョトンと独りだけに成ったのです。

それから何をするでもなく、ただ生活に追われるだけの身の上。
当然独りに成ったわけですから、数ヶ月も経てばあの煩わしかったいざこざも、男同士の他愛もない下ネタで笑いあった日も恋しくなります。

少し物足りなさを感じ始めた頃、と言うのは2015年の8月辺りでした。

ようやくその頃は僕にも彼女が出来たりして、その"物足りなさ"に人を想うことの幸福感で無理矢理に自身を満たそうとしておりました。

けれどそれも束の間。

なにかと愛嬌のある家庭的な彼女との行き違いに、僕らは徐々にだが、互いを尊重し合う事が難しくなって行きました。

こんなに近くにいるのに、なんだか振り向いたら見えないほど遠くに居たりして、抱きしめたのは気配だったりして。
それまで抱いていた幸福感を忘れまいと、あの子をもっと近くで感じていたいと必死で繋ぎとめようとしていました。

やがてその行き違いの隙間から生じた疑心や不安に、完全に打ち砕かれてしまった僕の淡い束の間の恋愛も、心に未練を残したまま、幕を閉じることとなりました。

僕は未練を焼き棄てるために、
生活の中に在る時間とは、また別の時間を用意しました。
なんだか惜しい気がしたのですが、そうせざるを得えないのが悔しくて居た堪れませんでした。
まるで肺の底に溜まっているのか、深呼吸をしたって出て行くのはさっき吸った空気許り。
僕はこの未練を少しづつその時間に委ねて、気持ちを平らにしようとしていました。

それまで放り投げていたやりたいことも、彼女が居なくなってからは徐々に手をつけるように成っていき、僕はまた新たに曲を作り始めて行きました。
その時も、やはり解放感を得ていた事は確かなのですが、バンドが解散してから感じたあの解放感とは、似て非なるものでした。
それは上手く言葉では表せないほど瓜二つで、
見分けるとしたら、その解放感の、些細な量を比べるしか僕には分かりませんでした。

僕はその解放感を感じたあとは、どちらも部屋を満遍なく掃除したのですが、その解放感の似て非なるものの正体を掴むにはきっと、
"どちらがより綺麗に部屋を掃除することが出来たか"
これだと思います。

僕の場合は部屋の芳香剤や、ガラス用の洗剤、キッチン用のウェットシートなんかを買い漁ったのが、彼女と別れた時だったので...(笑
まぁその辺りは読者の方の感性で、各々解決して頂ければと思います。

そんなこんなで、曲も以前の調子を取り戻して、引き続きYoutubeにオリジナルを投稿してはSNSなんかで報告したりして、また生活に追われ始めました。
その繰り返しの中で、独りになってもやる事は変わらなくて、気が付けばもう23歳まで歳を重ねてしまいました。
きっと周りのミュージシャン達と比べたら、とんでもなく底の方に溜まっているだけの歯牙ないナモナキヒトだと思うし、実際そうなんですが、それがどうにも歯がゆくて情けなくて、
ある日、僕は職場の上司からこんな事を言われてしまい、僕は自分の音楽生活や、人生の在り方、僕が僕として生きるために目を逸らし続けていた現実と直面することとなりました。
「お前の音楽はどこに行きたいんだ」
「お前はただYoutubeに曲を上げて自己満足に浸っているだけだ」
と。
「聞いていて、なにがしたいのか、なにを訴えたいのかが全く伝わってこない」

僕はこれまで積み重ねた自分の音楽を真っ向から全否定されたことの方が最初はショックで、でも言われてみれば思う節は沢山あったのだ。
今までは世界観を迚も大事にしていた。
それこそキャラクターの生き死にや心情を歌うことを自分のやり方にしていた。
表現をすることの楽しさやその追求が楽しかった。
でも、それもなんだか違うように思えてしまって、それからの僕は自分の音楽に自信を持てなくなってしまった。
その時ほど悔しさを強く感じたのは初めてで、いくら時間が流れようとも決して忘れない、いや忘れ難い出来事です。
曲を作る度に、いつもその言葉を思い出してしまって、自分の歌を歌うことが怖くなりました。
同時に、僕は音楽生活と銘打ったこれまでの人生で、なにか得たものはあったか。
そう自問自答するようにもなったのです。
それからというもの、僕は次第に焦りを感じ始めて行きました。
あの時の上司の言葉に、なにも、ほんとうに一言も言い返せなかったのが情けなかった。
もういっそのこと音楽なんて辞めちまえって、何度も考えた。
定職に就いて、結婚して、そんな在り来たりな人生に、今から修正しろ。
その日の夜は何度もそう考えた。
でもそんなことをしてしまったら、中学生で初めてBUMP OF CHIKENに憧れたあの頃の自分に申し訳なくて、頭が上がらないとさえ、僕は落ちぶれてしまっていたんだと痛感した。

少しでも今の自分を知ってほしい。
ダメな僕を、ダメなんだってそのまま歌にして歌ったら、いつかの上司はどんな顔をするだろうか。
いや、いいんだ。
歌ってやるんだ。
それが今の僕に出来る、今までの僕を殺す最良の方法なんだと、その時は自分に絶大な自信を持っていました。

なんのためにバンドを解散したんだ。
なんのために彼女と別れた。
なんのために生活に追われているんだ。
なんのために、歌を歌ってきたんだ。
そんな当たり前なことを、なんでもない出来事でもその一つ一つに、僕は意味を見出そうとしていた。
後付けだって構わない。
それが、これから生きる僕の、たった一粒だけど掛け替えなく、小さくても大きな糧になるのなら、理由なんてなんでもよかった。

あらゆる出来事や、無駄だと思って聞き捨ていた貶し文句を思い出しながら、それでもそれに打ち勝つんだと思いながら歌詞を書いた。

そうして出来上がった、少し短くて、でも今の僕にとって最大の武器にもなり得るその曲に、
僕は【夕景より】というタイトルを付けた。

全力で歌った。
拙いのは百も承知だ。
それでも今の自分に正直になるためにはと胸を張った。
Youtubeに投稿した後で、LINEのタイムラインにURLを張って新曲を発表した。
ーー自分のことを歌った歌ーー
その付け加えた一言には、その時の僕の自信が溢れているのを感じた。
そうしたら、少し面白い事が起こったのだ。
今までLINEでやり取りが滞っていた人や、あんまり関わらなかった人から、スタンプやコメントを貰ったのである。
その数はわずかだったのだが、ほんとうにわずかだったが、応援のコメントだった。
相変わらずいつも応援のコメントをくれる方も、やはり相変わらずのコメントを残してくれた。

レコーディングを終えた後は、清々しかった。
鬱屈していた形容しがたいモヤモヤを、遂に拭い去る事が出来たと安堵した。
あの爽快で気持ちが晴れていく感じ。
自分は今まさに無敵なんだと錯覚出来るあの勇猛な自信を、僕は心でもって咀嚼し、全身でその味の豊かなのを初めて知ったし、改めて知ったような感じもしていた。

兎に角そこで一息着いたら終わりだと考えて、またすぐに作曲に取り掛かるのだが、そこはまだまだ完璧に自分を洗濯仕切れて居なくて、以前の楽天家な、"本来の僕"が、僕の中の暗く深い洞窟の中で、静かに岩の上に座を占めているのだ。
そいつが、重く、暗い瞳をわずかにあげた途端に、僕の心は充足感で満たされてしまっていたのだった。

僕は一瞬間の瞬きの後に、ノートからペンを離してしまっていた。

これではいけないと思うのだが、どうにも気持ちが進まない。
それには、例によってかつての上司の、凄惨と捉えた重い言葉を時々思い出すからであった。

今日まで不安だけを喰わして飼いならしてしまった僕のルサンチマンが、僕からその上司に打ち勝つ自信を奪い取ってしまったのだ。
僕の中で膨れ上がった黒い僕は、その溜め込んだ不安の底知れない暗さに、自分の顔を失くしてしまったのか、あるいは忘れてしまったようにも見えた。

その不安というのは、人間として根底にある部分から来る総体的な不安だ。
音楽はもちろんの事、経済面や、人間関係、仕事やその他諸々だ。
その大部分を占めるのはやはり経済面・金銭面の不安が最も大きかった。

仕事を転々とする今の生活に、積み上がる支払いの数々。
お金が無い時と言うのは、どうしても意識がそちらに行ってしまいがちで、目の前の事に集中出来なくなってしまう。
なんの支払いが幾らでいつまでで、ってそんな事許りを考えていたら、いつの間にか音楽どころじゃなくなってしまっていた。
それは僕が当時、高卒で就職した時から全く変わらない。
それが今は恥ずかしい。
だがどうする事も出来ない。
顔の無い"本来の僕"が、いつも大事な時に僕から力を奪ってしまう。
これこそが僕の最も立ち向かわなくてはいけない敵なのだと、見えない敵というのを、その時初めて認識した瞬間でもあった。
それが【夕景より】を投稿して、少し経った辺りだ。

それからも何気なくいつものように日々を過ごしていたある日だった。
以前よりTwitterで面識があるという程度の方から、メッセージを貰ったのだ。
それは、
「【夕景より】を聞いて、ピノ。さんの生き方に興味が湧いてきました。
今度どこかでお茶でもしましょう」
という男性からのメッセージで、これだけで読んだら何やら胡散臭さがあるのだが、ある共通した歌手が好きで繋がったのがキッカケだった。
その時の僕は、自分の曲で自分に興味を持ってくれたことがすごく嬉しく、その方とはすぐに予定を合わせた。
なんでも、【夕景より】は、歌に迚も気持ちが入っていて、それで興味を持ったという事らしかった。

池袋の彼の行きつけの喫茶店で、簡単な自己紹介を含んだ近況を、二人静かに温かいコーヒーを飲みながら語り合った。

この辺りは個人情報もあって、少し割愛させて頂くのだが、と言っても大したことでは無い。
ただ、僕が彼を語る上で表さなくてはいけない彼の人間性や人柄を、僕の中だけで尊重したいというだけなのだ。

それから約1-2時間が経った時には、お互い大分打ち解けてきていて、カラオケに行ったりもした。

自分の曲で人と繋がる事を実感した出来事だった。

これより先は特筆すべき事はない、と思ったのだが、
本日、と言ってもこのブログを執筆している最中に日付を跨いでしまったのだが、5/13日。
バンドメンバーが一人、加入する事となり、このブログを執筆するキッカケにもなったので、
もう少しお付き合い下さい。

彼は僕よりも年下で、現在は東京の音楽専門学校に通うサウンドエンジニアだ。
今までいくつものバンドでサポートしたり、レコーディングのサポートをしたりしていたようだ。
現在、彼が所属するバンドも、かつて色々なバンドでサポートをしてきたように、今回もメンバーから外されるかもしれない、と若干ながらも危惧しているようだ。
そのために、今回僕のバンドに、掛け持ちになるけれども、と言う事で加入することになったというわけだ。

彼はバンドの売り方に精通しているようで、今まで僕が実践してきた売り込みとは全く説得力に違いのある方法を心得ていた。

どうやら、やはりライブだけでは全然売り込みにならないというのだ。
それは薄々気付いていたというか、疑問を多少ながらも抱いていたのだが的中した。

その売り込みという部分に関しても、今ではライバルと呼ぶにはあまりに複雑化、多様化し世界中に蔓延し過ぎたライバルたちだ。
ここではそれも明かさずにしたいのだが、彼は具体的にそれを述べてくれた。

しかし、まずはバンドをしっかり結成することだ。
として、本日スタジオで対面し、言葉の代わりに音楽で自己紹介。
最後はお互いに譲る部分、譲れない部分、これらは大して無かったのだが、それぐらいを少し話して、バンドメンバーが集まったら、追い追いにして方針や活動の全体的な部分を話し合う予定だ。


と、以上が僕の近況であります。
思わず執筆に熱が入ってしまって、気が付けばもう5,000文字以上も書いている。

それでは、また何か近いうちに近況報告をします。
なるべくTwitterでつぶやく事に色を加えて、ブログを更新していこうと思います。
しばらくはTwitterとこのブログは常駐アプリになりますね。

ここまでお読み頂き、まことにありがとうございます。
一生懸命、邁進していきます。
応援よろしくお願いします。


ヒノ。