自己満足もほどほどに。
例えば他人から、音楽や、書籍や、そういう文学や芸術の作品を勧められたとしよう。
その人は、それらを素晴らしいと言って、その魅力を存分に語るのだ。
同じように私も、興味のあるジャンルの中から勧められたものを観たり、聞いたりする。
...けれどもその魅力がさっぱり分からなくて、雰囲気はいい感じなのだが、
そこで終わってしまうのだ。
それはきっと、個人差という言葉で簡単に片付けられるものではなくて、
その人がその作品に魅力を見出したのには、きっと長い時間をかけたからなのだろう。
長い時間。
その中には、様々な作品に触れて、まだ見ぬ世界に触れて、ひとつの作品を多方面から考察出来るようになって初めて、改めて素晴らしいと評価し、その作品を、他人に勧める。
勧められた私がその人と同じ量で共感するためには、それこそ個人差ではあるものの、刺激を得ないといけないのだ。
ゆっくり時間をかけて考察するための、作品に対する"深み"を熟知してこそ、その人と同じく素晴らしいと評価出来るのだろう
つまり、たった一回観たり聞いたりしただけでは"深み"は解らず、後になってしんの評価ができるもの。
その人は、たった一回観たり聞いたりしただけの私に同じ量で、その場で共感して欲しいのだ。
自己満足もほどほどに。
作品を勧めるのならば、あなたが得た刺激や、
その作品にかけた時間も一緒に、
私に齎してほしいね。